2011年5月1日日曜日

葦の髄から天井を覗く

デジタル大辞泉では「細い葦の茎の管を通して天井を見て、それで天井の全体を見たと思い込むこと。自分の狭い見識に基づいて、かってに判断することのたとえ。」と書いてある。
葦(あし)を「よし」と読むのは、忌み詞らしい。
いずれにせよ茎の細い穴から天井を見ても全体が見える訳はない、ということで、よい意味に使われる言葉ではない。

もちろん、それを十分承知した上で、僕のコンサルの師匠、故H師曰く、
「葦の随からでも天井が覗ける。人事は所詮ひとつの分野に過ぎないが、それでもその道を極めれば天井を覗ける。これはどんな道でも同じだ。」

僕もそう思う。
葦の随からで構わないから、天井を覗いてみたい。

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