2011年4月18日月曜日

今日はマジメな、僕なりの経営論(生き方論、でもある)

タイミングというか、巡り合わせというか、いい時もあれば、そうでない時もある。そりゃそうだ、というしかない。
タイミングや巡り合わせは、作れる時もあれば、そうでない時もある。
これも仕方がない。現実とはそういうものだ。

考えている、というのは、たいていの場合、ある種のシナリオ、つまり仮定や確率論に基づいて行動することを言うのだろうけれど、当然、仮定や確率論には限界がある。
考えることは重要だが、仮定は、仮定にすぎない。確率論は、確率論にすぎない。
仮定は当たっているかもしれないし、そうでないかもしれない。
10分の1の確率、それは1回目かもしれないし、10回目かもしれない。
資源に余裕があれば全ケースに対応すればいいんだろうけれど。
現実的な選択肢としては、それはありえない。

一方、いかにも確定論で事を運べるような議論は、浅はかだと思う。悪いが、頭の構造を疑ってしまう。
絶対に!?という担保、それこそ、ありえない。先を「確実に」見通せる人など、いるわけがない。正直、そのような論調には、つきあう気がしない。
それは歴史が証明している。科学も、未知の領域のほうがはるかに大きい。

ならば、所詮、運なのか?
それも否定しきれない、と思う。

その認識のなかで、われわれにできることがあるとすれば、やはりそれは「変化への対応」しかないように思う。
ドラッカーは、さすがだ。

どうあれ、生きていくうえで、リスクないしリスクテイクは避けられない。
とすれば、目の前の状況(もちろん、できうれば、その予兆)に対して、いかに「早く、的確に」次のリアクションをとるか。
やはり、それしかないように思う。
拙速にならず、優柔不断にならず。それが賢者であり、リーダーシップなんだろうと思う。

今回の地震対応然り、われわれの仕事然り。
すべからく。

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