2011年1月28日金曜日

ふるさとはどちらですか?

今朝、大阪からJRで神戸へ。芦屋と三宮の間、山側を見ると僕が生まれた病院が見えた。ここを通るときは、ついその病院の看板を探してしまう。
僕は神戸生まれなのだが、小学校に入るまでしかいなかったので、神戸はほとんど知らない。もちろん、生まれた病院が見えても、それは知識として知っているだけなので、別に懐かしいということはない。それなのに、なぜその看板を目で追うのか、自分でも不思議だ。

ときどき人に聞かれて答えに困る質問がある。
「ふるさとはどちらですか?」「何県ご出身ですか?」

生まれた場所なら即答できる。神戸は出生地ではあるが、ふるさとなんだろうか?僕は神戸出身なのだろうか?
ふるさとにも出身地にも、はっきりとした定義はないようだ。僕の感覚では神戸は出生地ではあるが、おそらくふるさとでも出身地でもないように思う。神戸の土地も人もほとんど知らないのだから。懐かしいという感覚が沸かないところは、ふるさとではないだろう。
もっとも長く住んだ場所は横浜だが、それは大人になってからの話で、ふるさとという言葉には馴染まない。小中学校時代は川崎、高松、船橋と何箇所か引っ越した。結論として、たぶん僕にはふるさとはない・・というような、回りくどい答えになってしまう。

長いコンサルタント生活からきた職業病なのか、単に僕の性格なのか、質問に対しては説明的な答え方をすることが多い。いいことのような、そうでないような。
ただ正確に答えようとしているだけなんだけれど。

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